トリノオリンピックが開幕しましたヽ(´ー`)ノ
個人的に注目だったのは、伝説のスキージャンパー原田雅彦氏です。
3大会前のリレハンメルオリンピックでのこと。
日の丸飛行隊復活間違いなしと注目されたスキージャンプ団体、
最後のジャンプを残し、すでに2位に大差をつけていた日本は
よっぽどの失敗でもしない限り金メダル間違いなしの状況でした。
その金メダルを決める最後の1本を飛ぶのは原田氏。
名実ともに日本最高のジャンパーです。
誰もが金メダルを疑っていませんでした。
しかし。
そこで彼は伝説となる97.5mの失敗ジャンプ
(凡記録よりさらに20mくらい短い)
をやらかし、最後の最後で日本は銀メダルに終わってしまいました(つД`)
俺もリアルタイムで観ていましたが、あれは完全に戦犯でした。
ラストを飛ぶプレッシャー、それも金メダルが決まるというプレッシャーは尋常なものではない。
チームメイトはそう言って原田氏をかばっていましたが、
日本に戻った彼は大酷評を受け、オリンピック後も自宅への嫌がらせが続いていたそうです。
そして4年後の長野オリンピックでのジャンプ団体。
1本目で悪天候の不運が続き、4位まで後退していた日本を救ったのは原田氏の
「足が折れてもいいと思った」という魂の137m大ジャンプでした。
そしてラストを飛び金メダルを決めたのは、
世界一安定した美しい飛行姿勢だと言われる船木和喜氏。
そんな彼ですら、最後の1本は日頃のジャンプからすると決していい記録ではありませんでした。
それが、ラストジャンプの責任と重圧がいかに凄まじいかを物語っていたように思います。
そのとき、見守っていた原田氏の4年以上に及ぶ苦労、複雑な思い、
押さえきれなかった情感が伝わってくる
「ふなきぃ〜〜ふなきぃ〜」
の震える声に日本中が涙し、オリンピック史に残る伝説となっています。
俺も父と二人、テレビの前で涙をこらえていました(つДT)
彼こそ、男のなかの男だと思いました。
そして、トリノ。
日本人最多のオリンピック5大会連続出場を決めた最年長ジャンパーの原田氏は、
個人ジャンプで予選通過間違いなしのジャンプをみせていました。
しかし。
ジャンプ後の抜き打ち検査で体重を測定され、
原田氏が使う長さのスキー板を使うためには体重が61kg必要なところ
60.8kgしかないことが判明し、「ロングボードで失格」となってしまいました。
彼はその板の長さを使うために必要な体重は60kgと勘違いしていたそうで(´Д`;)
たった200gで失格・・・。
原田氏失格の衝撃が影響してしまったのか、
予選トップ通過など絶好調だった日本ジャンプ陣だったんですが
決勝ではまったく記録を伸ばせず。
メダルが期待されていた種目でしたが、最高で18位という全滅の結果になってしまいました。
今回のは失敗ジャンプでこそなかったんですが、ある意味それより悪い大失敗。
どうやら原田氏は、また新たな伝説を作ってしまったようです(´Д`;)