ひさびさに映画でも観ようってことになったので
りかこが好きなドラえもんにしましたヽ(´ー`)ノ
冒頭、「行き先は九州なのか北海道なのか」わからないという
ミステリートレインの切符を自慢をするスネ夫がいて、それに対し、
偶然なのかドラえもんが22世紀のミステリートレインの切符を買ってきます。
ドラえもん曰く、未来のミステリートレインは惑星間を行き来するそうで
現代のスネ夫のよりずっと面白そう。
でも、いじけたスネ夫を気にかけて、ジャイアンとしずかちゃんは
素直に未来のミステリートレインのほうへ行けないでいました。
ところが、当のスネ夫はさっさとドラえもんに頼んでのび太の部屋にきてたという(´Д`;)
この映画は96年に公開されたドラえもんの17作目で、
原作・脚本とも、ドラえもんの生みの親である藤子・F・不二雄氏がされているそうですが
微妙...(つД`) 藤子先生、ごめんなさい。
タイトルの銀河超特急(ぎんがエクスプレス と読む)ですが
文字から予想できるとおり、見た目もまんま銀河鉄道999です。
(いさぎよすぎるくらいソックリなので松本氏から許可をとっているのかもしれません。
だけど、このタイトルはどうなんでしょう。
おなじみのドラえもんのオープニングテーマ中も、
汽車のなかに忍者やガンマン、海賊などの謎の敵が現れ、
汽車を舞台としたこれからの大冒険を予感させます。
が。
この映画の本筋は『地球侵略をたくらむ寄生宇宙人との対決』で、
汽車や忍者は『遊園地のアトラクションみたいなもの』で、ストーリー的にはあまり重要じゃありません。
伏線になってる部分もありますが、
ぶっちゃけ大半はどうでもいい扱いになります(´Д`;)
まあ、確かに
ハラハラドキドキのミステリートレインの旅ではありましたけど。。。
ラストのバトルは子どもののび太たちに任せるには責任重すぎですけどね(´Д`;)
そんなわけで。
この映画は、タイトルから内容を連想して観られる「いつものドラえもん」とはちょっと印象が違います。
弊害として、とにかく話がパートごとにバラバラで統一感がありません。
そこらへんが微妙だと感じた部分です。
ひょっとしたら観ている人もミステリートレイン体験できるってことなのかもしれませんね。
話がどこに行き着くのか分からないという意味ではこの映画がミステリートレインですから(´Д`;)
ジャイアンが『忍法・壁抜け』で脱出してくるところなど、
なるほどと思わせられるイイところもありましたけどね(´ー`*)
いつもの劇場版とひと味違うドラえもん。
興味があったら一度どうぞヽ(´ー`)ノ
『ふたりはプリキュア スプラッシュスター』という作品を
一言であらわすなら、俺は「カルマ」だと言いたい。
宿命というか業というか、そんなものを一身に背負わされ
この世に生まれてきた作品だと思う。
スプラッシュスター・・・。
あれはあれでいいんだろうけど、結局は先代の模造品にすぎない。
そもそも存在理由が「それ」しかなかったんだから。
商業主義が、ここまで露骨に前面に出てきたことがあっただろうか。
多少のパクリや、似たような話ならいくつもあったが
公式に、開き直って続編と位置づけ、しかもキャラクターまで完全カブリ、
そのうえ定期的にリセット(そのうちまた次番組へ仕切なおす)していくという
衝撃的な考え方まで発表されたのだ。
スプラッシュスター・・・。
あえて言っておこう。このアニメ、完成度は悪くない。
いや、むしろかなりいいほうだろう。
それだけにもったいない。
スプラッシュをみてるといつまでも先代が脳裏をよぎる。
先代の陰に縛られたまま、いつまでも単体で輝くことができずにいる星、
それがスプラッシュスターなのではないか。
いっそのこと完全別物として生まれきてほしかった。
でもそれはかなわないこと。
そもそもこうなるために、こうなるべくして生まれてきた作品なのだから。
スプラッシュスター・・・。
背負わされたカルマに、彼女たちはあくまでも笑顔で立ち向かう。
当然だがそこに悲壮感などありはしない。
そのことが、気づいてしまえばかえっていじらしくみえる。
なぜ苦しまないのか。なぜ葛藤しないのか。なぜそこまで平然としていられるのか。
自らの消滅すら受け入れ、最後まで笑顔と元気を絶やさなかった海モモがそうであったように、
彼女たちのそれは見るものの胸をうつ。
もしかするとそんな悲劇性すらも、この作品の魅力なのかもしれない。
どこまで計算されつくした作品なのだろうか。。。
スプラッシュスター。
とてつもなく深いアニメではないか。
とか、勝手にまとめてみました(苦笑
まあ、商業主義的すぎ・・・先代まで汚された風にもみえます(´Д`;)
ガンダムでもここまではやらない。
コメントは↓からどうぞ